渡月橋 [散歩]
京都 嵐山 渡月橋 (きょうと あらしやま とげつきょう)
京都市右京区嵯峨天龍寺の芒ノ馬場町
「一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に、
ひかれて来にけん望月の駒」
仲国が小督が弾いていた琴の音を聞いたされる所が渡月橋のたもと。今は、「琴きゝ橋」の石跡が建つ。
「平家物語」
京都 祇園 白川 巽橋 [散歩]
巽 橋 (たつみ ばし)
祇園=巽橋と言われるぐらい有名な スポット!!
又、京都祇園を舞台にした ドラマには、欠かせない場所!
観光客がタクシーで次から次へとやって来る。
(観光客なら一度は見てみたい橋)
おこしやす、で始まり おおきに、で終わる京都!
あの 両 帆布店の 現在の様子 [散歩]
一澤帆布工業株式会社 と (いちざわ はんぷ)
株式会社一澤信三郎帆布 (いちざわ しんざぶろう はんぷ)
一澤帆布工業とは京都市東山区にある布製カバンのメーカーである〖京都市東山知恩院前上ル一澤帆布製〗と縫い込まれた赤染めのタグで有名。元々は職人さん向けの各種帆布(キャンパス地)製のカバンを作っていたが近年ファッション・アイテムとしても注目されている。
2005年創業者一族の間で相続争いが起り、故・一澤信夫前会長の三男・信三郎氏が長男・信太郎氏に社長の座を追われた。
両店舗は
東大路通りを挟んで西と東に100メートルほどの
距離 「目と鼻の先」で営業している!!
ビックリ!!
一澤帆布の現在の様子
↑↓一澤帆布工業株式会社を継いだ長男、一澤信太郎は新たな
職人と素材をもって2006年十月16日より営業を再開した。
特に午前中は行列が・・・・・
品物は午前中に完売!
↓株式会社一澤信三郎帆布の現在の様子
2006年 相続をめぐるトラブルにより一時営業を休止した。同トラ
ブルにより創業一族の一澤三郎とそれまでの勤めてきた職人は退
社して、同様のカバンを取り扱う一澤信三郎帆布を設立。
分裂騒動以前より「一澤帆布工業」で製作に当たっていた職人
は信三郎氏を支持して、その下に集まって、信三郎氏は、同氏
の長女が設立した製造会社「一澤帆布加工所」で製作された品
物を販売する、販社「一澤信三郎帆布」を設立し、2006年4月り
舗営業を開始した。
私の感想・・・
店の中に入りましたが意外と狭く、沢山の人の出入りで
空気が悪く、換気が不十分と感じ・・・・・
直ぐに外に出ました!!
両 帆布店の現在の様子でした!!
京都 先斗町 [散歩]
京都 先斗町(ぽんと ちょう)を一寸散歩!
ポルトガル語の岬(ポルト・・・先の尖ったの意)から由来する町名
高瀬川と加茂川の間に木屋町と、この、先斗町があります。
タイムスリップを感じさせられる通りです!!
又、先斗町は京都市内の著名な花街、そして夜の京都を代表する、
スポットの一つでもあります。
↑四条通り南側から見た先斗町入り口と交番
先斗町入り口は意外と狭く、約2メートルほど
四条通 先斗町角にある「テレビに良く出る」有名な・・・交番
夜には色々なドラマ(人間模様)が展開する・・・・・KOBANです。
♪富士の高嶺に 降る雪も 京都先斗町に降る雪も
雪に変わりは ないじゃなし とけて流れりゃ皆同じ♪
↑普段着姿の・・・ 舞妓さん
お買い物、それとも、散歩!?
一寸 後を・・・追っかけてみる?
♪泣いているのか 笑っているのか♪
♪後ろ姿が素敵なあの子 付いてゆきたい あの子の後を♪
♪降り向かないで 京都の人♪
アレ、! 振り向きましたね!
(いやや わ~ も~ みたはったん どすか~)
可愛い舞妓さんでしたよ!!
↑先斗町 歌舞練場前をしっとりと歩く後ろ姿は!うちどす~(私)
↑三条通りから見た先斗町通り
↑先斗町通は 横道に入る路地が幾通りもあります!
「粋(すい)な お店が ぎょうさん(沢山) おすえ~(有りますよ)」
↑犬矢来 (いぬ やらい)
お茶屋さんや料理屋さんの壁際に(建物の犬走と呼ばれ所)
に置かれる竹で組んだ矢来のようなもの。
設置目的は?泥はね?それとも・・・
※ 実は 雨宿りご遠慮下さい と いう物だそうです!!
お客様の大事な密話が、万一雨宿りの人に立ち聞きされでもしたら、料理屋さんにとっては信用問題にもなりかねないのです。
一見(いち げん) さんと、個人とを区別する昔の人の
知恵だったのかも知れませんね!!
四条通から入って直ぐ↑北向↓南向
三条通りから四条通まで約1キロ弱の先斗町通りの散歩でした!
本当は夜の先斗町が最高!!
(ひのくれ の 5時ごろには お店 あけてます え~
どうぞ えんりょの~ きと~ くれやす~)
夜は有名人が右往左往してます
週刊誌にスクープされない様に・・・・・
気を付けて下さいね?
!貴方!
知恩院の三門と庭園 [散歩]
知恩院 (ちおんいん) (京都市東山区新橋大和大路東入)
京都の人は(ちおいんさん)と呼んでいる!
三門と庭園
↑東大路通りから知恩院に入る新門
この門以外に、北に、古門、南に、南門がある。
↑除夜の鐘と、日本最大の三門として知られる (国宝)
(三門は一般に山門と書くが、正しくは三門と書く)
↑青空と三門
知恩院三門は1619年に二代将軍徳川秀忠によって建てられたものだ。
↑↓承安5年(1175)法然上人が浄土宗の総本山として開かれました。秀吉や家康の庇護をうけ、今の壮大な伽藍が出来上がりました、ことに徳川幕府は、事あれば戦用の城郭に転用すべく多大の援助を惜しまなかったとの事です。
!!実際に見ると、とにかく大きい!!
↑↓わが国最大の五軒三戸・重層(ようは)二階建て入母屋
造りの本瓦葺。
↑特別拝観期間中は三門の二階が拝観出来る。
三門の中には釈迦如来像が祀られ、その周りに十六羅漢像が祀られている。又、如来像が祭られている部屋(三門の中にある部屋)の壁には、龍、天女、ビールでお馴染みの麒麟などが描かれている、その絵画が描かれて何百年と経っているのに色落ちしてない! 不思議?
三門の中は撮影禁止、又、三門から外の撮影も禁止!!
↑ライトアップの準備が進められている。
(11月16日現在)
↑女坂登り口 右手にある友禅苑庭園と紅葉
↑入って直ぐ左に見える 鎮守社
↑↓現在(11月16日)の紅葉状況です。
奥に見える東山三十六峰も庭の一部に見えてしまう!
知恩院の三門と庭園でした!
院内は又・・・